プロフィール

ネーションワイド・ツアー〜PGA昇格:今田竜二プロ

今田プロが1999年にプロ宣言をして、翌年の2000年に「バージニア・ビーチ・オープン」でいきなり初優勝を挙げました。
誰もが、「来年はPGAレギュラーツアー参戦だ!」と思っていましたが、怪我やレギュラー・ツアーの「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School)の通過に失敗が続いてしまいました。
今田プロは、プロ宣言してからは5年間試練のときを経験することになるのです。

2002年に2軍組織の名称は「バイドットコム・ツアー」から「ネーションワイド・ツアー」に変更されます。
以前は2軍からレギュラー・ツアーへの昇格条件は年間賞金ランキング「15位以内」でしたが、2004年度から同ツアー賞金ランク上位20位以内に入ると、自動的に来季のPGAツアーフル参戦権が与えられることになりました。
私の周りでは「今年こそは上に行けるんじゃない?!」ってみんな期待してたのです。
そしてついに、今田プロは2004年「BMWチャリティー・プロアマ」で1勝を挙げ、賞金ランク3位(全日程終了時点)の好成績でPGAツアー昇格の権利を自らの手でもぎ取ったのでした。
「BMWチャリティー・プロアマ」はライブでは見てなかったのですが、結果を知らなかったので再放送をみながらホントにヒヤヒヤしてました^^;

2005年度の今田プロは「ブーズアレン・クラシック」の5位入賞が自己最高成績でしたが、全米オープンゴルフでなんと15位に食い込み、2006年の全米オープンゴルフの出場権を得ました。
このときは、パソコンのリアルタイムスコアーとテレビ映像を見ながら今田プロの順位が上がっていくたびに興奮してました。
しかし全米オープン後、今田プロは腰痛が悪化しシーズン途中で休養を余儀なくされました。
復帰後もなかなか予選通過ができず、賞金ランキングもどんどん下がっていくし、後半は本当にヒヤヒヤしてました。
最終的に、、今田プロは年間賞金ランキングを「121位」で終え、2006年度もレギュラー・ツアーのシード権をなんとか維持することができたのです。
(賞金ランキング「125位以内」が条件であるため、ぎりぎりでシード権確保に成功したのです。)

腰痛がかなり心配ですが、今年はなんとか1勝を!

頑張れ今田竜二プロ!!


いつも応援ありがとうございます。
■人気blogランキングに参加しております。

プロフィール

単身渡米〜プロ宣言:今田竜二プロ

今田 竜二(いまだ りゅうじ、1976年10月19日 - )プロは、広島県三原市出身です。
今田プロは他の日本人プロゴルファーに比べると異色の経歴の持ち主です。
14歳で単身アメリカに在住してゴルフの腕を磨き、PGAツアーの下部組織である「ネーションワイド・ツアー」(Nationwide Tour)で5年間修業を積んできた選手です。
2005年からPGAレギュラー・ツアーに参戦を開始し、今季が2シーズン目となります。

今田竜二プロは8歳で父親についてゴルフを始めました。
1991年14歳で単身アメリカ・フロリダ州にゴルフ留学をします。
その後リチャード・エイブルコーチと出会い頭角を現すようになりました。
今田プロは1994年にはジュニアプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに、翌95年にはジュニアゴルファーの登竜門、オレンジボールに優勝、AJGA(米国ジュニアゴルフ協会)のプレーヤー・オブ・ザ・イヤー、96年には全米アマチュアランキングでタイガーウッズについで2位となり、その後ジョージア大学に入学、数々の優勝を飾っています。
そして、ジョージア大学を中退し99年にプロ宣言をしプロに転向しました。
このとき誰もが、今田プロはすぐにでもPGAツアーで活躍できると信じて疑わなかったのです。


いつも応援ありがとうございます。
■人気blogランキングに参加しております。




Powered by Seesaa
アクセスアップ・SEO対策・検索エンジン登録
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。